11-34. アイスキャンデー
アイスキャンデーは、果汁等を棒状に氷結した冷菓のことで、日本ではアイスバーとも呼ばれることがあるが、子どもの頃は誰も「アイスキャンデー」であった。昭和30年代くらいまでは、図1左に示すように、アイスキャンデーの入った木箱を自転車の荷台に乗せ、人が集まる道角や催し会場あたりで売られていた。チャリンチャリンとハンドベルのような物を振りながらである。
作り方はいとも簡単であるが、その製法は、1905年(明治38年)、アメリカ・サンフランシスコの11歳の少年が発明した。寒いある日、少年はジュースに混ぜ棒を挿したまま外に忘れてしまっていたが、翌朝、ジュースが凍ってキャンデーのようになっていることに気づいた。これがアイスキャンデーの始まりであり、日本へは大正時代に入ってきた。今では、水や果汁や牛乳などに、砂糖などの甘味料、香料、着色剤などを加えて型に流し込み、木製の棒を差し入れて凍らせてつくるが、近年では、果肉、小豆やチョコレート等をまぜ入れたものや、凍らせたあとで、溶かしたチョコレートやアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆ったものもある。昔の形は円筒形のものが多かったような気がするが、近年は直方体のものが多い。
図1. 昭和の時代のアイスキャンデー売り(左:三州足助屋敷ブログ) |
筆者にも、田舎でのアイスキャンデーの思い出は人並みであるが、北京での経験を今でも鮮明に覚えている。国際会議が北京であり、帰路、黄河を見に行くことになった。黄河をまたぐ大きな長い橋の上まで来たら、ちょうど日本と同じように、自転車の荷台に箱を積んだアイスキャンデー屋さんが通りかかった。すると、通訳兼ガイドの方が暑いからと言ってアイスキャンデーを買ってくれた。当時、海外旅行では生水は絶対飲んではいけないと注意されていたので躊躇(ちゅうちょ)したが、せっかくのガイドさんの好意なのでいただくことにした。明日は帰るという晩、お腹の調子が悪く、検疫に引っかからないか、無事帰国できるか、不安だった思い出である。でも、黄河の色をした黄色いアイスキャンデーは冷たくおいしかった!